読みました。
安部社長は、R&Bのバンドがやりたくて上京し、
当時アルバイトが高給料だった吉野家の第1号店にアルバイトとして入社。
そして店長時代、たった15席の店を1日66回転させるまでに伸ばし、その後、倒産の危機に立たされたときに社長に抜擢され、現在に至るようです。
〜現在に至る-
までの間に、再度倒産の危機に立たされたのは記憶に新しいですね。
米国産牛肉の輸入禁止が2度もあり、2年以上吉野家から牛丼が消えた。
熱狂的なファンが牛丼を食べれず店で暴行を起したこともありました。
そんな窮地に立たされたときこそ、
トップの姿勢の真価が問われるのでしょうね。
安部社長は、メディアには冷静にコメントをしたものの、
社内では、『アッタマにきた』と怒りをぶちまけたそうです。
そうすることで社員の政府に対する怒りを代弁し、
社員を落ち着かせたとのこと。
普通だったら、米国産にこだわらず、他の牛肉で牛丼は作り続けたでしょう。
だって、吉野家には牛丼しかなかったのだから。
その看板商品が2年以上不在の中、縮小せず勝負するって、
まさにタイトルどおり“逆境”ですね。
一度倒産の危機に立たされた会社が、
たったひとつの商品にとことんまで味と提供の効率化を研ぎ、
3年で上場を果たした。
たったひとつの商品にしか目を向けなかったため、
飲食業では異例の15%という利益率を出し、体力をつけた。
だから、逆境に追い込まれても潰れなかった。
牛丼が吉野家から消えたとき、吉野家には現金が300億あったとのこと。
その300億を守る対象とせず、あくまでもブランド牛丼を守った。
耐えの2年間で、300億の蓄えは100億まで落ち込んだが、
FC加盟店には本部が無利子で貸付けし、社員にも安心しろ!
と言い続けることができるトップって、
本当に器が広いというか・・・、
そんな簡単な言葉では失礼に当たるくらいですよね。
牛丼を2年以上なくした策がどう転ぶのかは、まだ結論づけるのは早いのでしょうが、この“逆境、逆張り”経営って、組織を強くする秘訣なのかもしれないなぁと思いました。
当たり前だけど、あの牛丼の味だけは身体が覚えています。


2007年04月13日
逆境の経営学
ラベル:吉野家